榎本まとめ

榎本の考えた事をまとめます。榎本は誰だという声が各方面から聞こえてきそうですが,ゆるくがんばります。

ルールチェンジの方法|ロバート・ライシュ『最後の資本主義』より

大学院のとある講義で、下記の本の訳者である今井章子さんのお話を聞いた。

もとクリントン元大統領政権での労働長官を務めたり、オバマ政権でのアドバイザーも行ったロバート・ライシュ氏の著作『最後の資本主義』(現代は「SAVING CAPITALISM」。

 

 講義を聴いて、またその時点ではまだ読み進められていなかった本著を読み終えて思うところをまとめてみたい。

 そもそも、僕は政治経済系について勉強をしてきませんでした。

社会人6年目になって大学院に入って今更「すべてはつながっていて切り離せないし、社会を変えるためにはその切り離せない社会総体を多面的に理解することも必要」と思い至っているので、素直にこのような分野についても主に書籍を通して学んでいる最中です。

 

したがって、これから述べることは誤解や飛躍も含まれていることをご了承頂きたい!

 

 

この本で説いている「最後の」という意味合いは、資本主義の終焉を説いているわけではないし悲観的になっているわけでもない。現代アメリカの「社会の仕組み・ルール」のいびつさを指摘し、今そのルールに則って走ってきている資本主義を「SAVE」しようとしている、そのような想いと迫力のあるニュアンスです。

ちなみに、訳者の今井さんもそのような意味合いで「SAVE」ということばを、出版社の方々と最終的に決められたといいます。

 

冒頭で氏が語っていることに、

権力や影響力というものは、市場ルールの形成過程に潜んでいるため、そこから出てくる経済的な損益は「非人間的な市場の力」によってもたらされる「中立的」な結果であると誤解されている。
私たちが「自由市場」か「政府」かの優劣をめぐる議論にとらわれる続けている限り、カモフラージュされているものを見通せるようになる望みは低い。(p.13)

 とあります(太字は僕が強調しました)。

「自由市場」と聞いてよく連想しやすいのはアダム・スミスの「神の見えざる手」のことだと思います。もっとも、アダム・スミス氏の『国富論』で語られている「見えざる手」が、彼のもうひとつの著作である『道徳感情論』との対をなす構造の中で見えてくるそれは、地主と大衆の関係性において富が再分配されるその過程や仕組みに「まるで導かれているように流れ行く」という意味合いでかたっているので、「自由主義」的なことではないと思います。

 

いずれにしても、自然・ながれゆくまま・中立、というのは幻想であって、

安易な二項対立の奥に潜んだほんとうの構造の問題に気づけていないことを痛烈に訴えています。

 

それはなにか。

一言で言うと、ルールの作られ方。

具体的には、

所有権・独占・契約・破産・執行の5つの「自由市場」を実現ための構成要素に関わるルールを指します。

 

一つだけ、本著で語られている例を挙げてみます。

「所有権」について。

大手製薬会社のフォレスト・ラボラトリーズがアルツハイマー薬として広く使われていたナメンダという薬の販売を中止し、カプセルのナメンダXRという薬を販売することにしました。このナメンダXR、中身は全く同じ成分で変更は錠剤だったものをカプセルにしただけ。

これだけなら問題ではないかもしれません。しかしからくりはここからです。アメリカではワクチンなどの自然由来産物の製造過程に特許登録が許可されています。そして、特許は御存知の通り独占を生み出します。これは企業の競争力を保持し知的財産権がみだりに使われないようにするための法律ですので、何ら悪いことはない。しかし、特許当局は既存特許に対してその特許期限が切れたあとでも重要ではない些細な変更をも機械的に登録可能な新規情報としてあつかうということが発生しています。

これにより、製薬会社は、特許の期限が切れた医薬品を微妙にマイナーチェンジして新しく特許申請をして利益を独占し続けるという構造が生まれました。

 

誰が一番被害を被るか?

消費者である国民です。

おまけに、ジェネリック医薬品などを海外からゲットすることは法律違反。

その結果、高価な医薬品を得ることができず、処方箋通りに医薬品を購入できていないひとが約5000万人というから驚き(p.32)。

 

他にも豊富な事例を展開しているのだけれども、根底にあることは、社会のルールによって、富が最初っから偏っているということを指摘しているのがライシュさんの基本的な主張であるということです。

 

このような市場ルールの偏りをつまびらかに解説した上で、

労働と価値に関する象徴的な事例を紹介している。

 

数年前、私は、ある発電所で働く従業員向けに講演を頼まれた。当時この発電所で働く従業員たちは、労働組合を作るかどうか検討しているところだった。組合結成に反対票を投じようとしていた一人の若者が、自分は今もらっている十四ドルの時給が妥当で、それ以上もらえるような仕事はしていないと言い出した。

「何百万ドルも稼いでいる人たちは、本当に素晴らしいと言いたいです。自分も学校に通って、お金を稼げる頭脳があれば、そのぐらい稼げたのではないかと思うけど、自分は学校にも行かなかったし、頭も良くないので、肉体労働をやってるんです。」(P.116)

 

富裕層と貧困層の富の局在化が顕著になっている現代で、能力が価値を規定し、給与を規定しているという極端な価値観が成立していることの現れである言葉だと感じました。

 

書籍では、展望として不平等な「事前配分(再分配はまやかしで、最初から勝負は決まってしまっているという意味合い)」を取り除くためには、「拮抗勢力」のちからを増すことが必要であると説いています。

 

具体的には、米国の選挙資金の仕組みを改革すること(情報公開を求める)を提示しています。また、「事前配分」を成り立たせてしまっている仕組みを終わらせようとすることも提案しています。

 

 

講義と本の内容から考えたことは、「ルールチェンジの構造、方法」について。

ルールは、なんのために作られているものなのかをよくよく見定めねばならない。そして、作った主体がどのような状況下に置かれているときに設置されたのかを考えなければならない。ルールは公正中立のものだと思いこんでも、その内実からくりがあるかもしれない。

ルールと付き合うには、

ルールを遵守する前に、健全に疑ってみること。

そう思います。

疑ったときに、なにかほころびや歪な構造を秘めているのであれば、

より合理的に目的を達成しうるルールにアップデートを図っていくことが必要です。

 

本著では現代アメリカについて語っていますが、

これは日本でも似たような構造があるものだと思いました。

表在化している2項対立の議論に乗っかるのはとても楽だし、

ある種、「考えているつもりになれる」。

そんな危険性に気づけた1冊。

 

ルールチェンジ/メイクをしていく主体でありたいと願っている人間なので、

問題の本質を直視する勇気と知恵を身につけたいです。